「9割が困っている」と聞いて、感じた違和感

たぶんですけどね

LGBTQ当事者の約9割が困っている

今朝のニュースで、「LGBTQ当事者の約9割が困っている」という調査結果が報じられていました。きっと多くの人が「そんなに?」と驚かれたのではないでしょうか。私も同じように驚きました。けれど、その直後に、ふとこんなことを思ったのです。

「そりゃ聞かれたらそう答えるでしょう。でも、そっとしておいてあげたら?」

これは決して、問題を軽視しているわけではありません。むしろ、言葉にしづらい違和感を丁寧に言葉にしてみようとする試みです。

数字の意味をたずねる前に

今回の調査は、認定NPO法人ReBitが実施したもので、全国の12歳から34歳のLGBTQ当事者4,925人を対象としたインターネット調査でした。学校生活を中心に、過去1年間に約9割が困難やハラスメントを経験し、そのうち6割以上が教職員によるものだったそうです。

「困っている」という言葉には、いじめや差別的発言だけでなく、相談できる相手がいないこと、気まずさ、心理的な距離感なども含まれます。つまり、

困っている=物理的な被害だけでなく、心の孤立や違和感も含んだ広い概念である、

ということになります。

これはとても重要な指摘であり、社会として無視すべきではない問題です。ただ、その一方で、私が最初に感じた違和感も消えないのです。

「困っていますか?」と聞かれたら

率直に答えるなら、誰であっても「はい」と答えたくなる状況というのはあるものです。誰かと異なる生き方をしていれば、小さな違和感や居づらさを日常の中で感じることは自然なことだと思います。たとえそれが深刻な被害ではなくても。

つまり、

「9割が困っている」という数字は、「そう聞かれたら、そう答える構造」によって生まれた面もある、

ということです。

さらに言えば、このような調査には「声を上げることができる当事者」しか参加しづらい傾向があります。静かに暮らしたい人や、そっとしておいてほしいと考える人々は、そもそも調査にアクセスせず、回答すらしていないかもしれません。声を上げること自体がリスクと感じられる社会であれば、なおさらです。

実際、世界的な研究では、LGBTQ当事者の多くが自らの性的指向や性自認について「ほとんど誰にも話していない」と答えています。ある調査では、その割合が8割を超えていたという報告もあります。このことは、声を上げている人たちが「当事者全体のごく一部」である可能性を示しています。

声を上げる自由と、静かにいる自由

LGBTQ当事者の中にも、「社会を変えたい」と強く願って声を上げる人と、「特別視されたくない」「静かに生きたい」と願う人の両方が存在します。

どちらも大切な態度です。ただ、声の大きさや発信の多さによって、前者の姿だけが“LGBTQのリアル”として社会に広がってしまうと、後者の存在は見えにくくなり、かえって息苦しさを感じることもあるのではないでしょうか。

日本は、「空気の国」と言われることがあります。制度よりも空気が人のふるまいを決める傾向が強い社会です。だからこそ、「声を上げた人のリアル」だけが空気を作ってしまうと、その空気が別の誰かを縛ってしまうことにもなりかねません。

こういう輩がいるじゃないか、という声に

こうした話をすると、時々こういう反論が返ってきます。

「でも、不適切な発言をする“オジサン”がいるじゃないか。ああいう人を野放しにしていいのか?」

たしかに、そう感じる場面はありますし、実際に差別的な言動が許されてはならない場面もあります。

けれど、私が考えたいのは少し別の視点です。あの“オジサン”たちもまた、価値観の変化についていけないまま、沈黙と孤立を深めている存在かもしれません。

社会が変わるなかで、かつての常識が非常識とされ、自分の言葉がいつ「不適切」とされるか分からないという不安の中にいる。

ある意味で、「不適切発言をしてしまう人」もまた、時代の中で居場所を失いつつあるマイノリティなのではないかと思うのです。

もちろん、それは差別的言動を肯定するということではありません。ただ、排除によって「新たな差別」を作るのではなく、丁寧に線を引き直したり、やさしく受け流したりすること。その視点が、現代社会には必要なのではないかと思うのです。

かつての「そっとしておく包摂」

私が育った日本には、こんな空気もあったように思います。

「あの人はそういう人だから」

それ以上を聞かず、踏み込まず、しかし拒まない。干渉しないことがやさしさとして機能していた時代があったように思うのです。それは決して冷たさではなく、言葉にしないことで成立していた包容力だったのではないでしょうか。

もちろん、それだけでは救われない人もいます。でも、あの「過剰に踏み込まない空気」にも、現代の多様性社会を考えるヒントがあると私は思います。

最後に:数字の奥にいる人へ

「9割が困っている」という数字には、問題の深刻さを伝える強い力があります。だからこそ、真剣に受け止めるべきだと考えます。

しかし同時に、その数字に表れていない当事者のまなざしや沈黙、声を上げない自由も、私たちは見失ってはいけないと思うのです。

声を上げる自由と同じくらい、声を上げない自由も大切にされる社会であってほしい、私はそう願います。

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