――「社会の一員」って、どんなこと?
最近、外国人にも参政権を認めるべきかどうか、という話題をよく目にします。 「同じように税金を払って暮らしているんだから、当然じゃないか」という声もあれば、 「国の将来に関わることを、外国人に決めさせるのはおかしい」という反対意見もあります。 どちらの気持ちもわかる気がします。 でも、私はいまの自分として、こんなふうに考えてみたいと思いました。
「自分らしさ」と「社会とのつながり」は別の話
まず大事にしたいのは、その人の個人的なアイデンティティです。 たとえば、生まれた国や使う言葉、信じている宗教や文化的な背景。 そういうものは、変える必要なんてないし、変えさせるものでもありません。 でも、もうひとつ大事なものがあります。 それは、社会とのつながりのかたち――社会的なアイデンティティです。 たとえば、「この町を一緒によくしたい」「この社会の一員として関わっていきたい」といった気持ち。 これは、みんなで育てていく“目に見えない資産”のようなものだと思います。
参政権は、その“つながり”の先にあるもの
参政権とは、ただ意見を言う自由ではありません。 社会のルールや仕組みを決めるプロセスに関わる、とても大きな力です。 だから私は、「参政権を持つ」ということは、 その社会の一員として信頼され、責任も引き受ける存在になる、ということだと思うのです。
どんな人なら「一緒に社会をつくる人」として迎えられるか
では、どういう人に参政権を開いていけるのか。 私としては、こんな条件が必要だと感じています。
- この社会のルールや現実について、ある程度の理解があること
- まわりと協調しようとする、善良なふるまいがあること
- 生活の基盤があること(急に支援を必要とする立場ではないこと)
- 「とりあえずいる」ではなく、「ここに関わりたい」という意思があること
- 完璧でなくてもいいけれど、日本語で社会の声を受け止めようとする姿勢があること
これは排除ではなく、信頼を築くためのルールだと思っています。 さらに、地域ごとの人口構成にも配慮して、一定以上の割合を超えない人たちとするなどの工夫があってよいかもしれません。
帰化と地方参政のちがいは「国籍」
外国人の社会参加には段階があります。 その中で、もっとも大きな違いは「国籍を持つかどうか」です。
たとえば、帰化して日本国籍を取得すれば、国政にも地方にも選挙権・被選挙権が与えられます。 この判断をするのは「国=法務省」です。国家の枠組みに入るという意味で、とても重たい判断です。
一方で、地方参政権だけを認める“準市民”のようなステージがあってもいいのでは?と思います。 ここでは「地域社会=地方自治体」が、その人を地域の一員として信頼できるかどうかを見ていきます。
要件そのものが大きく変わる訳でなく、
- 承認する主体(国か地方か)
- 認める権利と責任の範囲(国全体か地域限定か)
このちがいを丁寧に分けていく。 つまり、求められる信頼の“質”は共通だけど、“スコープ”がちがう、ということです。
小さく始めて、大きく信頼を築く道
いきなり全部を認める/全部を拒む、の二択にしないこと。 段階を踏みながら、少しずつ信頼と責任を育てていく。
たとえば、地域での信頼が積み重なれば、やがて国家レベルでの判断につながっていくかもしれません。 あるいは、日本国籍を取らずに地域の中で生きる道を選ぶ人もいるかもしれません。
どちらもあっていい。 大切なのは「なぜこの人にその権利を開くのか?」を、 社会として丁寧に考える姿勢ではないでしょうか。
さいごに:小さな問いを預けます
私がいま、ここで持っている問いは――
「その人と、一緒に生きていきたいと思えるか?」
この問いに、すぐ答えを出す必要はありません。 でも、こういう視点で話をしてみることが、きっと大事なんじゃないかと思いました。



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