ポピュリズム批判は劣化版ポピュリズム!――「壁を壊す」にどう応えるか、それが制度派の責任じゃない?

知らんけど

はじめに:壁を壊せば、なぜ共感されるのか

「103万円の壁を壊す!」というスローガンが、一定の支持を集めました。 

その後、制度改正により控除額は150万円に引き上げられ、さらに自民・公明・国民民主の3党は「178万円への再引き上げ」を目指す方向で一致しています。 
「壁を壊す!」このシンプルでストレートなメッセージは、働きたいのに働けないという不満を抱える人々の感情に、まっすぐ届きました。

一方で、「そんなのはポピュリズムだ」「制度を知らない浅はかな議論だ」といった批判も目にします。
しかし、それは本当に建設的な応答になっているでしょうか。
制度派が「正しさ」だけを盾に感情を拒絶しても、それは制度そのものへの信頼を損なうだけではないでしょうか。

ポピュリズム批判は、ときに感情を否定することで、言説の誤解を自ら加速させ本質を失う“劣化版ポピュリズム”になりかねません。

「ポピュリズム」は悪ではありません

ポピュリズムとは、本来「民意の代弁」や「大衆の感情への接続」を意味する政治的スタイルです。
問題になるのは、「中身のないポピュリズム」「責任なき打ち出し」であり、不満を言語化することそのものではありません。

「壁を壊せ!」というスローガンは、制度に不慣れな普通の人々が感じている違和感を、率直な言葉であらわした“感情のサイン”です。
そこに対して、「いや、それは間違っている」と即座に否定するだけでは、有権者にはむしろこう映るのではないでしょうか。

「制度派はいつも正しげなことを言う。でも、私たちの困りごとは聞いてくれない」

そんなふうに感じられてしまったら、もう制度を語ることができません。

スローガンは制度語に翻訳を(=制度設計の言葉に置き換える)

「壁を壊す」は、感情の表現です。
それを「ナンセンス!」と批判するのではなく、「それを実現するなら、こういう制度設計が必要です」と翻訳すること――制度で語る立場なら、それが仕事ではないでしょうか。

感情を制度に落とし込むためには、設計の技術が必要です。
壊したあとの段差をどうするか。財源をどう確保するか。誰が得をし、誰が損をするのかをどう補うか。
多くの怒りに応答する図面を引いてくれたら、多くの人が「これなら意味がある」と感じるはずです。

制度派なら描ける“壊したあとの図面

ここでは、実際に“壊したあと”をどう整えるか──現実的な制度設計の方向性を4つにまとめてみます。

本気で「壊す」つもりなら、次のような制度設計が必要になるのでしょう。

1. 配偶者控除の逓減制(ていげんせい)

いきなり「損する」感をなくす制度設計。
配偶者の年収があるラインを超えると急に控除がなくなるのではなく、収入が上がるにつれて段階的に控除が減っていく仕組み。これにより、「ちょっと働いただけで手取りが減る」不合理を解消できます。

2. 社会保険適用ラインの整理

複雑な加入条件をシンプルに。
現在は「週の労働時間」や「企業規模」など複数の条件で加入が決まりますが、これをできるだけ一つのルールに統一することで、働く人が「いつから入るか」が分かりやすくなります。

3. 控除再設計と資源マップ

限られたお金をどう使うかを見える化。
控除制度(税金の優遇)を抜本的に見直し、どの家庭にどれくらい支援すべきかを考え直す設計。これにより、子育て世帯やシングル家庭など、必要な層に資源を集中させることができます。
同時に、「自分がどこに位置づけられているか」が見えることで、再分配の納得感も高まりやすくなります。

4. 得/損/±ゼロの可視化マップ

「私の場合どうなる?」を一目でわかるように。
政策変更で誰が得をして、誰が損をするのかを所得・世帯構成・就労状況など別にマッピング。不公平感を防ぎ、「自分にとって納得できるか」を生活者が判断できるようにします。

実はこれ、制度を真面目に設計していけば、現実路線を掲げる国民民主党(たとえば中間層支援や控除改革など)に自然と近づいていく構造です。
共感に応答して、不足を補おうとすれば、そのような政策整合性が必要になるからです。めれば設計の丁寧さが求められる分野なのです。

批判より「施工計画」を

「壁を壊す」という声を頭ごなしに否定しても、生活者の共感は得られません。

政策に対する賛否は一旦置いて、生活者の声を受け止めた上で、「私たちは、壊したあとの地ならしの設計図まで描けます。」と言えるほうが、制度派としての責任を果たしていると感じてもらえるのではないでしょうか。

批判は翻訳に勝てません。
共感そのものを否定してしまうことで、信頼への道を閉ざしてしまう。

「まず聞く」「いったん受け止める」という、ごく普通の対人関係の道理を外してしまっているように映ります。

とはいえ、言うまでもなく「脊髄反射もほどほどに」と、否定論者たちも自らを問い返している頃なのかもしれません。

コメント