フジテレビの報告書と、それをめぐる報道や議論が続いています。
中居さんの件を中心に据えた「性加害」の言及、
一方で詳細が伏せられたままの反町さんの件、
そもそも第三者委員会とは何か──
話題の中心が、誰にとってもつかみづらくなっています。
最近の報道を見ていると、あまりにもたくさんの「疑義」が混在しています。
問題の根幹が曖昧なまま、あちこちに論点が飛び火している。
そんな印象を持っている方も多いのではないでしょうか。
ここで一度、いま出ているいくつかの論点を、静かに整理してみようと思います。
そのうえで、どこに関心と共感を寄せるべきかを、あらためて考えてみたいのです。
性加害という言葉の定義は、あまりに広い?
第三者委員会の報告書では、「WHOの定義に基づく性加害」という表現が使われました。
WHO(世界保健機関)の定義では、「性加害(性暴力)」とは、身体的接触の有無にかかわらず、相手の同意なく行われた性的な言動全般を指します。たとえば、性的なジョークや暗示、視線、雰囲気による圧力なども、文脈によっては加害と見なされることがあります。
このように、WHOの定義は「肉体的な被害」に限定されず、力関係や空気によって生まれる“同意なき関係”全体を含み、「定義が広すぎて、一般的な感覚とズレてしまっているのでは?」という疑問の声もあります。
一方で、「まだ社会の感覚がそのレベルなのか」と、一般的な反応の鈍さを嘆く声もあります。
つまりここでは、「語られ方」と「感じ方」のズレが、意図せず対立を生んでしまっているのです。
あなたにとって“性加害”とは、どのような状態のことを指すでしょうか?
中居さんの事案は、すでに示談が済んでいる個人的な出来事
報告書では、インパクトの強い中居さんの件が中心に据えられました。
でもこれは、すでに民事的には終わっている事案であり、
当事者間で解決済みの“パーソナルな範囲”であるとも言えます。
それを、あえて詳細に再構成することで、報告書は「透明性」を演出したのかもしれません。
しかしそれが逆に、関係のない大衆に“エログロ目線”での関心を促す構図にもなっていないか、慎重に見なければいけないと思います。
語られること自体が、誰かの痛みを消費してしまう場合もある──そんな感覚を、私たちはどこまで意識できているでしょうか?
反町さんの件は、なぜここまで曖昧に処理されているのか?
中居さんの件が細部まで描写された一方で、
反町理さんのハラスメント事案については、内容がほとんど明かされていません。
社内の構造問題としてはこちらの方が重要なはずなのに、
どうして“外部タレント”の事案ばかりが目立つのか。
この「つまびらかさの非対称性」には、やはり引っかかるものがあります。
「誰のことが語られ、誰のことが語られないのか」──
それが、組織の中でどういう力学を表しているのか。今いちど、考察しても良いのかもしれません。
そもそも、第三者委員会って本当に第三者なのか?
第三者委員会という形式が、
「透明性」と「企業の自己防衛」とをどう両立させているのか、
実は多くの人が内心モヤモヤしているところだと思います。
報告書という名の演出。
“中立”という名の“演出的客観”。
そこに、弁護士らのビジネスとしての構造が入り込んでいる可能性も否定はできません。
その「透明性」は、本当に開かれたものだったでしょうか?
それとも、“納得”という空気を作るための装置だったのでしょうか?
では、何に目が向けられるべきなのか?
こうした一連の騒動のなかで、もっと注目されていいのが、フジテレビで働く一人ひとりの社員の存在です。
自社の問題を客観視して報道するよりも、社員一人ひとりの“いま”を取り上げることこそ、フジテレビにしかできない、もし今やれたら、意味あることではないかと思うのです。
彼らがどんな気持ちで、どんな立場で、毎日を迎えているのか。
外部からは見えにくいその葛藤にこそ、いま、いちばん関心と共感が向けられるべきではないかと思います。
壊れた空気の中で、どうやって働くのか。
どうしたら、自分の“声”を信じられるか。
その問いに向き合っている人にこそ、目が向けられるべきだと思います。
一人ひとりの理想が、現実の一部になっていくことを
スキャンダルとは、誰かが壊したものだけではありません。
スキャンダルの後に何をつくるかで、その組織の「次」が決まります。
理想は一気に実現できるものではないけれど、
それでも「こういう職場で働きたい」「こういう空気でいたい」という個人の理想が、
少しずつ現実のパーツになっていく。
そのプロセスに、あなたの考えも含まれていることを、忘れないでほしい。
自己決定の力を、私は信じています
いまは混乱していて、何が正解かも、何を信じていいのかも見えにくいのかもしれません。
でも、どんな空気の中にいても、 「自分がどう在りたいか」を選ぶ力だけは、手放さないでください。
その小さな選択が、空気を変える力を持つことを。
私は信じています。
たとえ今は、何もできないと感じていても、
その感覚を抱えながら考え続けること自体が、環境を変える始まりなのかもしれません。



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