安全保障外交は“対話”ではない──物語が国を動かす

たぶんですけどね

ロシアの侵攻を前に、国際社会は「まさか本気でやるとは」と誤解した。
その背景には、相手のナラティブ(物語)を理解しきれなかった傾聴不足がある。
「自由で開かれたインド太平洋」もまた、浅い共有にとどまる統合ナラティブの実験場だ。
日本外交にはすでに複数の物語が積み重なっているが、今後はそれを整理し、
他国と統合可能なストーリーとして差し出す必要がある。
安全保障外交は“対話”ではない──物語が国を動かす。

ロシアンナラティブへの傾聴不足

2022年のロシアによるウクライナ侵攻は、多くの人々にとって「まさか本気でやるとは」という衝撃だった。
侵攻直前、ロシアは「ウクライナ軍が住民を虐殺している」という虚偽情報を世界に流した。国際社会はこれを荒唐無稽と切り捨て、OSCE(欧州安全保障協力機構)の監視団も「ジェノサイドの証拠はない」と冷静に報告していた。

それでもプーチン大統領は、その物語を真顔で抱え込み、軍事行動を正当化した。
ここにあるのは、事実の有無よりも「どんな物語を信じているか」の問題である。私たちは「そんな妄想を本気にしているわけがない」と受け止めてしまい、相手の物語を理解しきれなかった。その傾聴不足が、断絶感として突きつけられた。

もし統合ナラティブがあったなら

もちろん、ナラティブの共有があったからといって戦争を止められたとは限らない。
だが少なくとも、「釈然としない断絶感」は和らいだかもしれない。

ナラティブは同意ではない。理解の装置である。
相手が信じる物語を「そう思うのだね」と認識することは、誤解や軽視を減らし、国際関係における見立ての精度を高める。
それがなければ、私たちは「まさか本気ではないだろう」と楽観し、相手は「理解されていない」という被害意識を募らせる。その断絶こそが衝突の温床になる。

自由で開かれたインド太平洋──浅い共有の実験場

では、統合ナラティブの実例はあるのか。日本が主導してきた「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」は、その一つの試みだ。

「法の支配」「航行の自由」「開かれた経済圏」というスローガンの下に、アメリカ、インド、オーストラリア、欧州諸国が加わり、インフラ投資や安全保障協力が進められている。だが、これはまだ「浅い共有」にとどまっている。

国内でも「対中包囲網」なのか「包摂的秩序」なのか解釈が割れ、経済界は中国市場への依存を懸念し、世論も賛否両論だ。スローガンとしては広がっても、深い共有に至らなければ、ただの“言葉”に終わりかねない。

現状の日本外交ナラティブ(棚卸し)

ここで立ち止まって、日本が持つ既存の外交ナラティブを整理してみたい。

  • 平和国家ナラティブ
     憲法9条を基盤とした「二度と戦争をしない」という戦後の原点。
  • 経済大国ナラティブ
     戦争ではなく経済で貢献する国、ODAや技術協力による「経済立国」としての自負。
  • 日米同盟ナラティブ
     「同盟があれば安全は守られる」という戦後日本の安全保障の中心軸。
  • 被爆国ナラティブ
     唯一の被爆国として核廃絶を訴える道徳的立場。
  • 橋渡しナラティブ
     欧米とアジア、先進国と途上国をつなぐ「中庸の役割」を強調する立ち位置。

これらはいずれも強い重みを持つ。だが外交においては、単に国内で語られるだけでなく、相手に差し出し、相手のナラティブと統合するためのベースとして機能する必要がある。
だからこそ、物語としてのまとまり感が求められる。ばらばらの断片ではなく、他国と統合可能なストーリーへと編み直すことが、今後の日本外交にとっての課題であり可能性だ。

日本リベラルはナラティブ構想力を発揮せよ

ここで日本のリベラルに目を向けると、「安全保障は対話で」というメッセージが繰り返される。方向性は間違っていない。だが「対話で」と言うだけでは、ナラティブの入口に立っただけにすぎない。

必要なのは、誰とどの未来像を共有するのかという物語性だ。
「ASEAN的な枠組みを」と言うなら、なぜASEANなのか、どの国とどんな未来を描くのかを物語にしなければ、他国の共感は得られない。
リベラルが進歩主義を名乗るなら、保守への反論に終始するのではなく、未来を形にする物語を提示すべきである。

国民一人ひとりが担う物語

外交ナラティブは政府だけが紡ぐものではない。SNS時代には、国民一人ひとりが自らの「日本物語」を外に発信し、国際社会に届いてしまう。
だからこそ、私たちもまた、自分の物語を整え、差し出す責任を負っている。

それは派手なスローガンではなく、日々の言葉や態度ににじみ出るものかもしれない。
だが、その積み重ねが国全体のナラティブを磨き、外交の力を強めていく。

ハラリの視点──虚構が人類をつなぐ

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』で、人類は虚構(物語)を共有することで大人数の協力を可能にしたと論じた。
国家も宗教も企業も貨幣も、すべては人間が信じる物語に支えられている。

同じことは国際関係にも当てはまる。条約や制度だけでは秩序は持続しない。
国々が互いに物語を差し出し、統合できる虚構を紡ぐことが、紛争を避け、協力を可能にしてきた。

安全保障外交は“対話”ではない──物語が国を動かす。
その物語の一端を、私たちもまた静かに担っている。

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