前回の「シン・護憲論①」では、憲法9条を war potential(戦争遂行力)という原文から読み直しました。そこで浮かび上がったのは、9条が本当に否定しているのは侵略戦争の潜在力であって、防衛のためのプロフェッショナルな軍事組織そのものではない、という見通しでした。
今回はもうひとつ、戦後憲法論の「基礎物語」とも言える 8月革命説 に注目します。一般にはあまり耳慣れない言葉ですが、実は戦後左派が「戦後日本=まったく新しい国家」と思い込む感覚の源流となった学説です。ここを読み直すことが、日本という国をどうとらえるかの大きな手がかりになります。
8月革命説とは何か
1945年8月、日本がポツダム宣言を受け入れて敗戦に至ったとき、法秩序の上では「革命」が起きた――こう説明したのが宮沢俊義ら東大憲法学の人々でした。戦前は天皇主権の国、戦後は国民主権の国。主権の所在が断絶的に移り変わったのだから、戦前と戦後はほとんど別の国である。これが「8月革命説」です。
この言葉自体を知る人は少なくても、「戦後日本は新しい国として生まれ変わった」という感覚は、多くの人の中に刷り込まれています。その背景に、この学説が大きな役割を果たしてきました。
どうしてこんな説が生まれたのか
占領期の課題は山積みでした。天皇の戦争責任をどう説明するか、民主化をどう正当化するか、国民にどう「新しい時代の物語」を語るか。こうした政治的ニーズに応えるには、「戦前と戦後は断絶している」という強い物語がとても便利だったのです。
学問的な事情もありました。戦前からの日本の憲法学は、フランスやドイツに由来する大陸法の影響を色濃く受けていました。大陸法は「主権の所在を明確にする」ことを何より大切にする伝統があります。その影響の下で、「主権が天皇から国民へと革命的に移った」と説明することは自然に思えたのでしょう。
どこに問題があったのか
けれども、よく考えるとこの説明は多くの問題を抱えています。第一に、日本国憲法は明治憲法の改正手続によって制定されています。形式上は「改正」であり、法的には「連続」が出発点です。革命ではなく、大きなリフォームだったと言う方が正確でしょう。
第二に、英米法の発想から見ると「主権の所在」をことさら決めること自体にあまり意味がありません。統治をどう機能させ、権力をどう縛るかが重要なのであって、「天皇か国民か」という問いは二義的です。
第三に、日本社会そのものは連続していました。天皇は象徴として存続し、行政や司法、自治体や企業は敗戦の翌日からそのまま動いていた。人々の暮らしや制度は続いていたのに、「戦前と戦後は別の国」と言い切るのは現実感覚と噛み合いません。
今の憲法学界はどう考えているか
さすがに現在では「8月革命説」を額面通りに唱える学者はほとんどいません。政府や裁判所は一貫して「改正による連続」を前提としていますし、学界でも「形式は連続だが内容は革命的」という折衷的な説明が主流になっています。さらには、主権の所在そのものよりも統治機能に目を向ける英米法的な視点を取り入れる学者も増えています。
とはいえ、「戦後日本は新しい国だ」という物語は強い影響力を残していて、とくに左派の歴史感覚の中には今も色濃く生きています。
左派に根付いた「新しい国家」感覚
戦後日本は新しい国として出発した――この断絶の感覚は、左派が戦後民主主義を絶対視し、戦前を徹底的に否定する姿勢につながっています。だから彼らは「戦前回帰」という言葉を恐れの象徴として使い続けるし、「戦後80年」という節目を国の“誕生日”のように扱います。
けれども、実際の日本はそんなに単純ではありません。国としては連続しているし、社会や文化も積み重なっています。「戦前/戦後」という断絶の物語に囚われると、日本の歴史をありのままに見られなくなってしまうのです。
日本的な見方――英米法と大陸法のちがいから
ここで少し丁寧に、英米法と大陸法の違いに触れてみましょう。大陸法は「法典」を重視し、すべてを成文法として体系化します。上位規範から下位規範へと秩序を流し込み、主権の所在を明確に定めることに大きな意味を与えます。
一方、英米法は「慣習」と「判例」の積み重ねから発展してきました。重要なのは「法がどう機能するか」であって、「主権がどこにあるか」を抽象的に定義することではありません。チェック・アンド・バランスや手続の公正といった仕組みをどう運用するかに関心が向きます。
日本は島国であり、社会のあり方も連続性や漸進性を重んじる文化を持っています。英米法的な機能重視の発想の方が日本の土壌にはよく馴染むのです。にもかかわらず、戦後憲法学が大陸法的な「断絶の物語」を強調してしまったために、「戦後は新しい国だ」という勘違いが広がってしまったのです。
まとめ
8月革命説は、戦後の正統性を説明するためには便利でしたが、断絶を強調しすぎたために日本の歴史や社会の実相とズレを生みました。日本は断絶ではなく連続の国です。戦前と戦後で大きな変化はあっても、国は続いてきました。
だからこそ、これから憲法を考えるときには「主権の所在」をめぐる物語ではなく、統治がどう機能し、権力をどう縛るかに注目することが大切です。一般には「1945年に日本は生まれ変わった国だ」という感覚が広くありますが、それでも憲法が「制定」ではなく「改正」と呼ばれているねじれは、まさにここに原因がありました。日本国憲法は新たに制定されたものではなく、大日本帝国憲法の改正手続によって成立した「改正憲法」です。
9条の理解も同じです。war potential をどう制御し、専守防衛との折り合いをどうつけるかを考えることこそが肝要です。これが「シン・護憲論」第2章の結論です。




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