はじめに:「選べる制度」を問い直すということ
選択的夫婦別姓は、自由の問題だと言われます。 けれど、ただ「選べるようにすればいい」と割り切るには、私たちはこの姓というものに、少しばかり深い想いを抱いてきたようにも思います。 信頼、調和、公共性、正しさ──そうした日本的な価値観の中で、姓は単なる「名前以上のもの」になっていたのではないでしょうか。
1. 姓の歴史:文化としての出発、制度としての再構成
姓(かばね)は、もともと血縁や地縁、役割を表すラベルでした。 それは長い時間をかけて、氏となり、名字となり、家の看板へと変化していきます。 以下に、日本の姓のあり方の変遷をざっと整理してみます。
■ 古代(氏姓制度の時代)
- 天皇が豪族に「姓(かばね)」を与え、支配構造を明確にする身分制度。
- 代表例:蘇我臣(そがのおみ)、物部連(もののべのむらじ)など。
- 婚姻は通い婚が一般的で、夫婦は別氏が自然。子は母系に属すことも多い母系社会。
■ 平安〜中世(貴族から武士へ)
- 血統を表す「氏(うじ)」の上に、領地名を由来とする「名字(みょうじ)」が登場。
- 武士が「家」として名字を名乗るようになる。
- 婚姻形態は嫁入り婚へと移行するが、夫婦別氏、子は夫の姓を受け継ぐ父系社会へ。
■ 江戸時代(姓の制限と屋号文化)
- 苗字帯刀は武士の特権とされ、庶民は姓の公的使用を禁じられる。
- 一方、村や町では「屋号」や「通称」が事実上の“家の名前”として機能。
- 庶民にも「隠し苗字」や慣習的な家名の使用があったが、制度的姓とは無縁。
■ 明治以降(姓の制度化と統一)
- 1875年:苗字必称義務令により、すべての国民が姓を名乗ることが義務に。
- 1898年:旧民法により家制度と夫婦同姓が法制度化。
- 姓は「個の識別」だけでなく、「家族単位の国家管理」や「社会秩序維持」の手段へ。
こうして、日本の姓は「文化」から「制度」へと再構成されました。 信頼や協調を司る“縁”を表すラベルという伝統を引き受けながら、それまで時代時代で再編集されてきたのと同様に、明治の近代国家への移行のタイミングで、現行の制度の夫婦同姓制度へまとめ上げたと言えるでしょう。
2. 「民主化」と「制度化」がつくった“名前の秩序”
明治政府が進めた近代化は、「権利」と「責任」の両輪によって進みました。 国民には教育の機会が与えられ、裁判を受ける権利も保障されましたが、そのためには戸籍に登録され、「国民」として可視化される必要がありました。 姓はその入口でした。 それは民主化の“証”であると同時に、制度化の“仕組み”でもありました。 自由の権利と公共への責任がセットであること、正に民主化への歩みでした。
3. 共同体のなかで育まれる「信頼」という姓の役割
けれど、もっと前から、日本の姓は「信頼」の単位でもありました。 村の中で、「◯◯家の誰々」は、ただの名ではなく、「どこの誰か」「どういう評判か」を示す看板のようなものでした。 人が信用される記号としての姓は、制度以前に文化の中にあったのです。 姓を共有するとは、「家」という共同体に属し、その信頼を引き継ぐということ。 それが、日本の“信頼文化”と折り重なることで、姓には独特の重みが宿ったのでしょう。
4. 調和と公共性:名前は「私的なもの」だけではなかった
個人がどんな名前を選ぶか──それはたしかに自由の問題という見方もできます。 でも、日本では、名前はしばしば「場」を構成するものでもありました。 家の名、家の面子、近所との関係、学校での呼ばれ方。 姓は常に「私」の外にあり、周囲との調和を前提に使われてきたのです。 そして、戸籍姓の統一は、ある意味で「公共の秩序を保つ」という側面も持っていました。 家族という単位が「国家にとってわかりやすい」形に整理されていたのです。
5. 「正しさ」と「配慮」のはざまで
「夫婦は同姓であるべき。」そう考える人たちは、伝統への価値と敬意を信じてきた人たちです。 一方、「別姓を選びたい」と願う人もまた、現代への誠実さと配慮のもと、それを望んでいます。 ここで必要なのは、正しさの競争ではなく、 「信頼と調和の文化」をどう次の時代に引き継ぐかという再編集の視点なのかもしれません。
姓というのは、呼ばれる名前以上に、生きる姿勢を映してきたのかもしれません。 それが、家族を示すものであり、共同体との関係性を表すものであり、国家との接点でもあった。 だからこそ、私たちはいま、この名前のあり方を問い直しているのでしょう。
6.名前に込めるものが変わるとき
姓を選択することが、必ずしも伝統を壊すとは限りません。 伝統は“引き受け直す”ものでもあります。 今あるものを無駄にしないままに新しいものを取り入れる、今はその方法を探っている最中なのだと思います。
では、どう進めていけばよいのか。
私個人は、いまは制度の変更をただ急ぐよりも、現状制度のもとで、通称使用を最大限に活かす工夫と実践が求められる局面だと感じています。 それがやがて、制度を変えるに値する「実績」と「信頼」を積み重ねることにつながるのかもしれないし、変えるまでもないという結論に落ち着くのかもしれません。
おわりに
すぐに“変える”かどうかではなく、“まず試す”。そうしてみないと実際の感覚が分かりません。
それは、新しい料理に挑戦する時には必ず、味見が必要なように。
日本人は、異国の食文化のカレーという料理を、身近にある食材や調味料でアレンジしてしまう国民性です。そしてそれを国民食にまで押し上げてしまう私たち。太古の昔からの姓の変遷も、まさにそのように、信頼と調和の精神を時代時代へ引き継ぐアレンジを繰り返してきたのだと思います。そういう日本的な再編集能力と、旨ければそれで良しという最後の大らかさ。きっと、それがここでも発揮されるのではないかと思うのです。
そのためにも、まず“味見”だと思うのです。



コメント