「自由に生きたい」って、誰でも一度は思ったことがありますよね。
だけど現実には、自由って、けっこう“強い人だけの特権”みたいに見えることがある。
たとえば、自分の意見をはっきり言える人。会社を辞めてもなんとかなる人。自由に働いて自由に暮らしてるような人。
そういう“強そうな人”を見ると、なんとはなしにこう思う……。
強者はいいですね、自由で。 でも、もし「強くないせいで自由がない」と感じてるなら、実はちょっといいお知らせがあります──。
自由って、誰かにもらうものじゃない。
まず前提にしたいのが、そもそもの自由の捉え方。
自由って、「誰かに許されるもの」みたいに感じることってありませんか?
たとえば、
- 上司がOKって言ってくれたら自由に動ける。
- 親が納得してくれたら、進路を変えられる。
- 社会がもっと優しかったら、やりたいことができる。
……もちろん、それらが「壁」になってるのは事実だし、甘く見てはいけません。
でもその前に、もう一つの視点があります。
実は自由は、所有できる。というか、たぶん本当は所有物。
「自由を持つ」ための5つのHowTo
では実際にどうすれば、“自由を持てる自分”になれるのか?
力まずに、でも確実にそれが手に入る5つの方法を紹介します。
1. 自分の「選択肢」を、小さくてもいいから増やす
自由=選べること。
お金がなくても、権力がなくても、「選択肢」があるだけで人は自由になれる。
- 本業+αの副業を持つ
- 引っ越せる物件をこっそり見ておく
- 会社以外の人間関係を育てておく
すぐには使わなくてもいい。「逃げ道」と言ってもいい。
「選べる感覚」と一緒に、メンタルが自由を帯びてゆくのが分かります。
2. 「自由のコスト」は自分で払う
自由には、必ず何かしらのコストがかかる。
お金だったり、不安だったり、孤独だったり。
それを「誰かが肩代わりしてくれたらいいのに」と願うと、途端に自由は他人まかせになる。
- フリーになる自由には、収入不安がセット
- 意見を言う自由には、嫌われるリスクがセット
でも、「コストは払う」と腹をくくったとたんに、その分だけの価値を伴った自由の一部はもうその手の中にあるとも言えます。
3. 小さな判断を、自分で練習する
「自由に決めていいよ」と言われても、いざ決めようとすると意外と戸惑うもの。
判断力って、実は筋力。使わないと、すぐに衰える。
- 今日何食べるか、自分で決めてみる
- 誰と会うか、何を話すか、自分の意思で選ぶ
一見くだらないけど、積み重ねると「自分の人生を持ってる」感覚がじわじわ育ちます。
4. 誰かの自由じゃなく、自分サイズに調整する
自由には「流行」がある。ノマド、移住、起業、サブスク生活……。
でも、ありふれた自由を真似しても、しっくりこないこともある。
- 自由に旅するより、落ち着いた場所に縛られず生きるほうが合ってる
- ガンガン発信するより、静かに自分の仕事をする自由が心地いい
自分にとっての「ちょうどいい自由」を探す。それもひとつの選択と所有です。
5. 「不自由に見える自由」もあると知っておく
ときには、いったん不自由に見える選択の中に、深い自由があることも。
- 子育てで縛られる日々=家族を持つという自由
- 決まった仕事を続ける日々=経済的な安心という自由
一見、不自由そう。でも、実は「自分で選んだ」ならそれも自由のひとつです。
弱者のための自由論、という逆説
「小さな政府×自己責任論=弱者切り捨て」──そんな風にすっかり悪者扱いされている“新自由主義”ですが、
一方で、それを批判するリベラルな立場(ニューリベラリズム?)の中にも、 「弱者には自由は荷が重い」と言わんばかりの差し出がましい空気を感じることがあります。
守ってくれる代わりに、自由が召し上げられている。
平等を訴える裏で、自由はどこか他人の管理下に置かれている。
そんな構造に気づいたとき、きっと誰しも思うはずです。
自由は、誰かがくれるのを待つものでも、ましてや誰かから奪うものでもない。
自由は自分で“持つ”もの、実は、もうほとんど持っているようなもの。
おわりに:自由は持てる
自由になりたいなら、強くなる必要なんてありません。
ただ、「自分で持つ」って決めること。それがすべてのスタートです。
他人任せの自由は、いつだって風に飛ばされる。
でも、自分で持ってる自由は、誰からも奪われることはありません。
そして、それを手にしたその時から、世界はイキイキと見えてくるのかもしれません。



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