政治学者・中野晃一さんの動画「フェアなリベラル論だよ 10分でわかる政治哲学のキホン⑥」では、リベラルの歴史と特徴が簡潔に語られています。タイトルには「フェア」とありますが、実際に見てみると「保守=反動」「リベラル=進歩的な主人公」という物語に強く寄っており、本当に公平といえるのか疑問が残ります。ここでは動画の内容を整理した上で、よりフェアな見方を提示してみたいと思います。
中野さんの語りの概要
中野さんの説明は大きく次の流れです。
- 保守は近代化への反動として登場し、リベラルは近代社会を生んだ。
- リベラルは自由や資本主義を発展させたが、奴隷制や女性差別、植民地支配といった黒歴史もあった。
- 19世紀末からは貧困や劣悪な労働環境への反省から「ニューリベラリズム(ソーシャルリベラリズム)」が登場し、普通選挙や社会保障を推進した。
- しかし1980年代以降「ネオリベラリズム(新自由主義)」が現れ、格差を拡大し大企業や権威主義が強まった。
- 現代のリベラルは、ネオリベと決別してプログレッシブに立て直せるかが課題である。
一見フェアに見えますが、保守の役割はほとんど語られず、リベラルを主役に据えた物語として完結しています。
保守を悪役にする二項対立
「保守=反動」「リベラル=進歩」という構図は分かりやすいですが、現実を単純化しすぎています。近代の制度はリベラルだけで作られたわけではなく、保守的な勢力が急進を抑え、制度を持続可能にしたからこそ定着しました。近代は保守とリベラルの“共作”と見るべきです。
自由の三段階で捉える
中野さんはアイザイヤ・バーリンの「消極的自由/積極的自由」を引用し、ニューリベラリズムの基盤に積極的自由があると説明しました。しかし実際にはこう整理する方が正確です。
- 消極的自由:権力や他者から干渉されない自由(検閲されず発言できるなど)
- 積極的自由:自ら意思決定できる自由(教育を受け職業を選べる、政治参加できるなど)
- 社会的自由:社会全体で実質的に自由を行使できる条件が整った状態(公衆衛生、教育、福祉など)
ニューリベラリズムが採用したのは「積極的自由」ではなく、「社会的自由」を制度として広げる方向性でした。さらに付け加えると、バーリン自身は積極的自由が「全体主義への道」に転化しうる危険を警告していました。したがって積極的自由を「福祉国家の根拠」として一義的に肯定するのは、バーリンの本旨を外してしまいます。
ネオリベラリズムは「闇落ち」?
動画ではネオリベラリズムを「もたざる者を切り捨て、大企業が政治を支配する闇落ち」と語ります。しかし実際には、1970年代の経済停滞(スタグフレーション)や国家の肥大化、ケインズ政策の行き詰まりに対応するために生まれたものでした。自由化や規制緩和は現実的な要請であり、当初は必要な修正と受け止められていました。問題はその後、市場万能主義へ行き過ぎたことです。
リベラルの「黒歴史」という語りの問題
奴隷制や女性の無権利状態、植民地支配を「リベラルの黒歴史」とするのも不正確です。これらは当時の人類社会において生産性や秩序を維持するための歴史的制約でした。産業革命によって生産性が飛躍的に高まり、階級社会を必然とする仕組みが緩み、多くの人に自由や富が広がっていったのです。そして、その変革を推進したのもまたリベラルの内部の闘争でした。「黒歴史」という断罪ではなく「矛盾を内包した進展」と捉える方が妥当です。
想定される反論と応答
反論1:保守はやはり進歩を妨害してきたのではないか?
→ 保守は決して単なるブレーキ役ではありません。エドマンド・バークは清教徒革命のような急進的破壊は否定しましたが、名誉革命のように漸進的で制度を安定させる変革は肯定しました。妨害ではなく、人間社会に必要で正当な権威と権力を担うリーダーシップを調律することで、進歩を持続可能にしてきたのです。ここで重要なのは、リーダーシップには「権威(象徴的な正統性)」と「権力(実際の統治力)」の二面があることです。保守はこの二つのバランスを崩さないよう調整してきました。リーダーシップの提示がなければ、たとえ自由や進歩を志向しても社会に定着することはできません。
反論2:ニューリベラリズムは積極的自由の延長では?
→ 動画内で中野さん自身が「積極的自由=自律」と説明しています。もし自律が核心なら、国家による過度な介入はむしろ自律を妨げます。実際に社会保障の拡大は「積極的自由」ではなく、すべての人に実質的な選択の可能性を保障する「社会的自由」の整備とみるのが妥当です。人類史を振り返っても、人間は消極的自由に生き、積極的自由の中で制度を選び、社会的自由の条件を広げてきました。ニューリベはその延長線上にあったとみる方が自然です。
反論3:ネオリベラリズムはやはり格差を拡大したのでは?
→ それは事実ですが、背景にはケインズ政策の失敗や国家肥大化がありました。必要な修正が行き過ぎた結果として格差拡大が生じたのであり、単純な「闇落ち」と語るのは歴史を歪めます。
反論4:リベラルの黒歴史を否定するのはリベラル擁護では?
→ 保守主義は決して自由を否定するものではありません。人間はもともと自由に生き、その中で時代に合った制度を取捨選択してきました。もし奴隷制や女性の無権利状態を黒歴史と断罪するなら、当時の社会全体が共犯であり、保守も同じ責任を負います。重要なのは断罪ではなく、そこからどう矛盾を克服してきたかという点です。
反論5:結局、保守は強者を守るだけで、リーダーシップの交代を妨げてきたのでは?
→ 名誉革命の例を見ても分かるように、保守は既存の強者を絶対に守ることに固執したわけではありません。必要に応じてリーダーシップをすげ替える柔軟さを持っていました。つまり、人間社会が常にリーダーシップを必要とするという構造を前提にして、その交代を安定的に実現しようとしたのです。日本の場合、保守勢力の内部に幅があり、その中でリーダーシップを調整できてしまうため、リベラルからの提示が不要になりがちです。これは普遍的な構造の一例であり、必ずしも日本だけに限られる現象ではありません。
よりフェアな語りへ
中野さんの動画は、リベラルの歴史を簡潔に学ぶには役立ちます。しかし「フェア」という看板にしては、保守の役割を軽視し、リベラルを主役に据えすぎています。よりフェアに語るなら、
- 近代は保守とリベラルの共作だった
- 自由は消極→積極→社会的という三段階で展開してきた
- ネオリベは闇落ちではなく行き過ぎた修正だった
- リベラルの歴史は黒歴史ではなく、矛盾と葛藤の中で進展した
このように整理する方が、分断を煽らずに近代の歩みを理解できます。「フェアなリベラル論?」という問いかけは、むしろこうした語り直しを促しているようにも思えます。



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