なぜリベラルという名のもとに、社会主義は生き残ってしまうのか?

知らんけど

戦後、日本における「リベラル」は、いつの間にか「社会主義的政策」を内包した思想として再定義されてきました。かつて「国家に縛られない自由」を掲げたはずのリベラルが、今では「国家による平等の設計」を当然とするようになっているのです。この変質はなぜ起きたのか、そしてそれは本当にリベラルと言えるのか。この記事では、そうした問いに正面から向き合います。

リベラルはなぜ社会主義化するのか?

リベラルという言葉は、本来「自由主義」を指していました。自由市場、言論の自由、政府の介入を最小限にすること。ところが20世紀以降、特に福祉国家の台頭とともに「社会的リベラル」という形に変質し、国家の介入によって平等を実現しようとする考え方が主流になります。

その背景には、「自由」だけでは社会的弱者を救えないという感情があります。差別、格差、排除。そうした現実に対して、「国家が介入すれば救える」という“善意”が強く働いた結果、設計主義的な社会政策がリベラルの名のもとに拡張されてきたのです。

気がつけば、自由のために始まったリベラルが、自由を制限してでも平等を優先する立場になっていました。これは矛盾ではなく、感情と道徳によって生まれた必然とも言えます。

社会主義は終わった思想ではなかったのか?

20世紀の終盤、社会主義国家は次々と失敗しました。ソ連の崩壊、中国の市場化、東欧の民主化。社会主義経済は、非効率で独裁的で、国民の創造性を奪うことが証明されたのです。

それでもなお、「社会主義的な政策」は生き続けています。それは、政治思想というよりも、道徳感情の延長として再生産されているからです。つまり、「正しいことをしたい」「可哀想な人を救いたい」「公平な社会を作りたい」という感情が、制度設計の形で蘇ってくるのです。

社会主義は、経済モデルとしては終わったかもしれません。しかし、善意や正義感を政治に持ち込めば、容易にその再分配思想に回帰してしまう。これは「感情による社会主義化」とでも呼ぶべき現象です。

北欧は成功しているのではないか?

こうした議論に対して、必ず出てくる反論があります。それが「北欧はうまくいっているじゃないか」というものです。高福祉・高負担の北欧諸国は、まるで成功した社会主義国家のように見えるかもしれません。

しかし、それは誤解です。北欧諸国は、あくまで資本主義の枠組みを堅持したまま、再分配政策を制度として整備したにすぎません。企業活動の自由度は高く、競争もあります。市場経済を前提としたうえでの再分配です。

つまり、北欧は「自由市場の上に成り立つ福祉国家」であって、決して社会主義国家ではありません。

北欧と日本リベラルの決定的な違い

北欧が機能している最大の理由は、国民の合意レベルの高さにあります。高い税率に対しても不満が出にくいのは、政治への信頼、透明性、公共性に対する納得感があるからです。

また、北欧社会は比較的小規模で、社会的文化資本(教育水準、労働倫理、互助精神)が高いことも要因です。「福祉は国家が与えるものではなく、国民の合意で支えるもの」という前提が共有されています。

一方で日本のリベラルは、こうした社会的前提を無視し、「制度だけ北欧型にしよう」とする傾向があります。国民の納得を得ることなく、「正しいからやるべきだ」と言い切ってしまう。ここにこそ、日本型リベラルの危うさがあります。

感情による社会主義化を乗り越えるには

リベラルが「自由の思想」から「平等の宗教」へと変質した今、私たちは改めて自由の意味を問い直す必要があります。

人間の本質的な不平等を前提にしながら、どうやって自立を支えるのか。どうやって最小限の介入で最大の自由を守るのか。設計によって救うのではなく、選択肢を広げることで社会の健全性を保つ。それが自由主義の本来の強さです。

北欧という成功例をただ模倣するのではなく、それが成立している社会的背景を見極めた上で、日本に合った自由のかたちを考えるべきです。

リベラルという言葉に甘え、社会主義的政策を「正しさ」で塗り固めることは、自由という本質を見失わせます。設計主義の善意に支配されるのではなく、不完全な社会の中で自由に生きる知恵を取り戻すことが、今こそ求められているのではないでしょうか。

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