空気 vs 外圧──現代日本の「慣習法」をめぐる攻防

知らんけど

空気とは何か?──それは私たち自身の中にある

日本社会で語られる「空気」や「同調圧力」は、まるで自分の外にある見えない力のように感じられます。でも実際には、それは私たちひとりひとりの心の中にある「倫理観」や「調和を大切にしたい気持ち」が、自然に表れたものではないでしょうか。

私たちは、争いを避け、周囲との安定や調和を保とうとする傾向があります。その思いが集まって、「今ここでどう振る舞うべきか」という空気が生まれます。つまり、空気とは誰かが押しつけてくるものではなく、私たち自身の内側から立ち上がる“共同の感覚”なのです。

そして、ときにその空気が「こうするのが正しい」というかたちで人の行動を導き、破る人を責めることさえあります。それは、まさに日本的な「慣習法」と言えるのではないでしょうか。

昨今、私たちの価値観を包摂した慣習法的空気が「外圧」にさらされています。人権、平等、開放性──国際社会が推し進める価値観が、日本社会に長く根付いてきた空気と衝突しています。

空気は、やがてルールになる

では、「慣習法」とは何でしょうか。それは、明文化された法律ではないけれど、長いあいだ多くの人々に守られてきた行動の型のことです。日本にも、そして海外にも、そんな例がたくさんあります。

日本の慣習法の例

たとえば、農村での水の使い方には「上流から順番に使う」という暗黙のルールがあります。誰もそれを明文化していなくても、みんなが守っているうちに、それが「ルール」として定着します。

また、葬儀での服装や香典のマナーなども、法律ではありませんが、守らなければ非常識とされることがあります。こうした日常のふるまいも、長年にわたり空気として受け入れられ、やがて社会的な規範となっていくのです。

海外の慣習法の例

イギリスやアメリカでは、「業界の取引慣行」や「事実婚」のような関係が、長く続くことで法律上も保護されることがあります。特に英米法圏では、判例を重ねることで「慣習が法になる」仕組みが存在しています。

空気と慣習法のつながり

このように、空気は私たちの内面から自然に立ち上がり、それが長く共有されることで、やがて社会における“ルール”となっていきます。つまり、空気は単なる雰囲気ではなく、「慣習法のたまご」とも言える存在なのです。

空気と国際社会の衝突の現場

それでは、日本の慣習法的空気と国際社会の価値観の衝突の現場を具体例を見ていきましょう。

1. LGBTQ法制化と多様性教育:語る vs 察する

外圧

G7諸国や欧米企業からは、人権尊重の立場から多様性対応を求める声が強まっています。日本が「遅れている国」と見なされることも増えています。

日本の空気(慣習法)

日本では、セクシャルな話題を公に語ることを避ける傾向があります。少数者に対しては、あえて語らずとも「察して配慮する」ことが美徳とされてきました。主張しないことこそが礼儀、という価値観が根付いています。

衝突の本質

権利を主張すること自体が「空気を乱す」と受け取られてしまうところに、深いすれ違いがあります

2. ジェンダー平等と女性管理職:成果 vs 配慮

外圧

国際機関からは、日本の男女格差の大きさが問題視されています。特に管理職や政治の場における女性登用が遅れている点が指摘されています。企業には、数値目標の達成が求められる場面も増えています。

日本の空気(慣習法)

日本では、女性に無理をさせないことが「思いやり」とされています。昇進は「望む人だけに」という遠慮の文化も根強くあります。また、管理職になることは長時間労働を伴うと考えられており、女性本人の側にも敬遠する傾向があります。

衝突の本質

公平なチャンスを求める外の価値観と、穏やかな分業を良しとする内の空気がぶつかっています。

3. 移民政策と技能実習制度:人権 vs 秩序

外圧

国際的な人権団体やILO(国際労働機関)などからは、日本の技能実習制度に対する批判が出ています。また、多国籍化を進めたい企業や外資系からも、より開かれた移民政策への期待が高まっています。

日本の空気(慣習法)

日本では、外国人は「お客様」のように扱うのが基本です。地域社会では、日本語やマナー、近所づきあいなど、日本独自の「暗黙の了解」が重視されます。こうしたルールにうまくなじめない人に対しては、警戒や不安が先立ちます。

衝突の本質

個人の尊厳を重視する国際基準と、場の調和を最優先とする日本社会の姿勢との間に大きなギャップがあります。

結論:空気を守るとは、価値を翻訳すること

日本の「空気」は、ただの曖昧な情緒ではなく、長い時間をかけて人々が選び取ってきた社会的合理性の表れです。英米法でいうところの「慣習法」として位置づければ、国際社会とも対話ができるかもしれません。

もちろん、大陸法的な理性主義には通じにくい部分もあります。けれど、国際社会はそれぞれの立場を主張することを重視します。日本型の秩序感覚や調和文化が、どれほど人間的で誇るべきものかを、堂々と翻訳し、語っていくこと──それが、国際社会の“空気を読む”こと。グローバルな価値観を私たちの内側で共有することになるのではないでしょうか。

つまりこれは、「正面から日本の”空気”を翻訳してみるのはどうだろう?」という提案です。それは決して伝統にしがみつくことではなく、日本らしさを世界に差し出す、という試みです。

いつものように国際社会の空気を直訳して消化不良にならないためにも、心に止めておきたい考え方です。

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