会話で空気がピリつく時
美容院で髪を切ってもらっていたときのことです。
担当さんと、ふと選挙の話になっていました。
「国民民主が山尾志桜里を擁立したときに、ちょっと違うなって思ったんですよね」
そう彼が言うので、私も「そうだね」と自然に返していました。
ところが、次の一言で空気がすこし動きます。
「じゃあ、もう参政党しかないかなって」
本当ならもっといい言葉があったかもしれないと思いながら…、
「参政党って陰謀論っぽくない?」と、つい否定っぽくなる私。
その瞬間、ちょっと空気がピリッとなりました。
彼は「いやいや、陰謀論なんてないですけどね?」と、饒舌モード。
私の方は(わ!これ以上この話やめておこう)と、断絶モード。
表面的には「ふんふん」と聞いていましたが、
心の中では(いわゆる政治の話はタブーとはこのこと)と思っていました。
「そうなんだ。」を忘れたとき、対話はすこしだけ閉じる
そして、あとから思って閃きました。
あのとき私が「そうなんだ」と口にできていたら、もう少し違ったかもしれません。
「そうなんだ。参政党のどこに惹かれるの?」
そう聞けていたら、彼の語り方もきっともっと自然で、
私の受け止め方ももっとニュートラルだったはずです。
「そうなんだ。」という言葉には、
ただ受け入れるだけでなく、相手を“抗い”から“応じ”へと導く力があります。
否定されたとき、人は「抗う」か「黙る」か
私たちは、否定されたと感じたとき、よくこの二つの反応をします。
ひとつは、話すのをやめてしまう。
もうひとつは、強めに言い返してしまう。
でも実は、どちらも心にちょっと力が入っている状態です。
本当はもっと、自然体で話せたはずなのに。
そんなとき、「そうなんだ」のひとことがあるだけで、
語る人は“構える必要”がなくなります。
無理に言い返す必要もないし、黙ってしまうこともない。
ありのままの自分で、ただ語ることができる。
タブー視されがちな政治の話も普通にできるかもしれません。
「そうなんだ。」は、信頼の入り口
「そうなんだ。」は、ただ相手を否定しないための言葉ではありません。
それは、相手の語りを一度受け入れ、そこに立ち止まって“応じる”ための小さいけれど大切なステップです。
受け入れることができれば、
そこから少しずつ「わかる気がする」という共感が生まれてくる。
そして、そうした共感の土壌にこそ、信頼は芽を出します。
「そうなんだ。」は、関係を閉じずに保ち続けるための、最初のパスワードなのかもしれません。
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