対立は、すれ違いではなく「語りのズレ」から始まります
「正しいことを言っているのに、どうしてあの人はあんなに嫌われてしまうのか?」
政治の世界でも、SNSでも、職場でも──そう感じる場面に出くわすことがあります。
議論に強く、論理的で、丁寧な説明すら心がけている。
それにもかかわらず、なぜかいつの間にか「喧嘩」になってしまう人がいます。
その代表的な例が、立憲民主党の小西洋之議員と米山隆一議員です。
二人とも、言っている内容は極めて論理的です。
それなのに、語り方には「敵意を感じる」「高圧的に聞こえる」といった反応が少なくありません。
その理由はどこにあるのでしょうか。
対立は、ただの意見のすれ違いではありません。語りの“問い方”がズレているとき、対立は深まり、喧嘩になります。
今回は、そんな「語りのズレ」が喧嘩を生む構造について考えてみます。
「問い方」が語りの温度を決めます
小西議員が発する問いには、次のようなものがあります。
- 「あなたは憲法の基礎を理解していますか?」
- 「この判断がどうして法的に許されると考えたのですか?」
そして、象徴的なフレーズがこちらです。
「議員やめたらどうですか?」
これは一見“問い”のように見えて、実際には結論の押しつけに近い表現です。
答える余地がなく、議論を終わらせる圧力すら感じさせます。
一方の米山議員も、論理的で情報量豊富な語りを展開しますが、議論がこじれると、次のような言葉で締めくくる場面があります。
「左様なら。」
この言葉は、静かで冷静な語り口ながら、相手との関係を“断つ”印象を与えます。
つまり、両者に共通するのは「対話の終わり方」に問題があるという点です。
これらの語りには、相手の反論や再提示の余地を与えない閉じた構造があると言えるでしょう。
“問い方”の違いが関係のスタイルをつくります
反対に、喧嘩になりにくい語り方は次のようなものです。
- 「それって、こういう見方もできると思うんですが、どうでしょう?」
- 「私はこう考えるんですけど、お考えお聞かせください」
このような問いには、相手に“考える余地”があり、もう一つの視点を差し出す姿勢が感じられます。
つまり、「問い方」が変わると、関係のスタイルそのものが変わります。
この構造の違いを表に整理してみました。
「問いのかたち」が語るもの──対話型と対立型のちがい
| 開かれた問い | 閉ざされた問い | |
|---|---|---|
| 目的 | 理解・探求 | 評価・断罪 |
| 相手への態度 | 考える余地を与える | 誤りを前提とする |
| 関係性 | 対等なやりとり | 上下・優劣の固定 |
| 結果 | 対話が続く | 対話が終わる、喧嘩になる |
| 代表例 | 「どう考えますか?」 「それってこうも見えますよね?」 | 「議員やめたらどうですか?」 「左様なら。」 |
正しさは、問いの形に宿ります
「正しいことを言っているのに喧嘩になる」。
その原因は、内容の問題ではなく、語りの構造そのものにあるのかもしれません。
語りが相手の立場を封じてしまうと、どれだけ事実に基づいた主張でも「攻撃」と受け取られてしまいます。
小西氏や米山氏の語りには、極めて重要な知見が含まれています。
だからこそ、その語りが社会に受け入れられるには、問い方という“技術”とのセットが必要なのです。



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